2016冬 第5話「醸蒸多知修行で体感する、日本酒づくり」
※このコラムは2016年冬頃に執筆されたものです。
野菜の寒麹漬けやハタハタやシャケなどの魚の飯(いい)ずし、自家製味噌、どぶろく など秋田県の食文化を見渡すと、“米麹”の存在は欠かせない。『聞き書き 秋田の食事』(社団法人 農業漁村文化協会)によると、天保9年に秋田県 の領民はひとり平均一斗(100合)の米を麹に変えていたという。天保の大飢饉の一番 酷いときを過ぎたばかりといえど、食べるためのご飯ではなく蒸米に麹菌をつけた“麹” である。
ちなみに、平成15年の日本人ひとりあたりの米の消費量は59.5kg(農林水産省 総合 食料局食糧部計画課公表資料)。つまり、1年に約396.8合ほど食べていることになる。 時代背景も違うのでそれに比べられるものでもないが、ひとりにつき1年に米100合に ものぼる麹をつくるということは、相当なことだということがこの数字からイメージで きるだろう。
立春の頃、能代市にある「喜久水酒造」に酒づくり入門をした。その名も、「醸蒸多知 (かむたち)修行」。“醸して蒸して多くを知る”。なんだか素敵な四字熟語ではないです か。聞けば、漢字のほうは喜久水酒造の平澤喜三郎社長が考えた当て字なんだそうだ。
修行は12月から3月の醸造期間内に行われており、申し込んだ人は蔵のスケジュールによ って健康な人ならば誰でも参加できる。1週間の期間終了とともに喜久水の企業秘密が知 れるほか「醸蒸多知」の称号が与えられるとホームページには書いてある。平成元年の開 始から昨年までに誕生した醸蒸多知は106人。そのうち、夏コラム第1話でご登場いただ いた天洋酒店の浅野貞博さんは4代目だった。
人生のたった1週間、能代の酒蔵へ旅をする。3食寝床つき1週間の修行はその道ン10年 の人から見たら、まるでお遊びのように見えるだろう。そもそも、「醸蒸多知(かむたち) 修行」という名の酒づくり体験は、当初、喜久水酒造が平成元年に自社の商品を扱う酒販 店向けに始めたもの。酒づくりの一部に触れてもらうことで地元の酒屋さんに日本酒につ いて語れるようになってほしいという平澤社長の思いからだった。折しも、日本酒の売り 上げが低迷している時期。ひいてはそれが自社の売り上げや日本酒業界の発展につながる はずと、平澤社長は1年で最も忙しい時期に蔵人以外の人たちを受け入れることに決断し、 賭けたのだ。
全国の酒蔵を見渡しても、酒販店のみならず一般の人までをも1週間のみ働かせるなんて ところはないだろう。実際に行ってみてわかったのだが、現場はあてにならない働き手に 構っているほどの暇はない。指示待ちなどしていたら放っておかれるのが関の山だ。
日本酒愛好家にとっては、これは醸蒸多知修行という名目の酒蔵への旅なのだ。私は酒蔵 という“非日常の世界”へ1週間の旅をした。それがどんな旅だったのか書いてみようと思 う。
酒蔵の1日は、長いようであっという間
2月6日土曜の朝。8時半の気温は1℃。立春を過ぎてまだ2日しか経っていないからさ すがに寒い。もちろん、酒づくりを行う場所ではストーブなど焚かれているはずもなく、 朝一番の酒蔵は冷蔵庫のように冷えていた。
まず新入りが入るのは、自動製麹機から麹を出す「出麹」という現場。説明なし、いきな り麹室から出てきた麹の入った盛り箱から麹を出す作業が始まった。酒づくりのイロハの イから始まるのではなく、現場優先。すべてが麹に合わせたスケジュールで動く。頭の中 にアンチョコで覚えた日本酒の製造工程がちらつくも、いきなり途中から始まったのでワ ケがわからなくなってしまった。朝から、麹からホクホクとした栗のような甘いにおいが する。ともかく、毎日のように麹は現場で生まれて成長し続けているらしい!
- 2月初旬における喜久水酒造の1日(普通酒の仕込み日)
ざっと、ここまでが連日、午前中にやることだ。この他は洗い物がたくさん!新米だと勝 手がわからず、道具の洗い方さえもわからない。修行とはよく言ったもので、蔵人さんた ちの動きを横から見てできる限り、覚える。とにかくどの道具も使ったらすぐ洗うのが基 本。だから、道具の洗い方をひととおり覚えると、手が空いてぼうっと立ちつくすことは ない。喜久水酒造の蔵人は、この冬に入ったばかりの新人さん以外はすべて持ち場につい ている。洗い場に何気なく置かれた(おそらく洗ってほしいと、無言で主張している)道 具がどこに属するものなのか、把握するまでは数日かかった。
日祝日の昼休憩は2時間。ご飯を食べて用事に出かける人もいれば、私のように昼寝をす る人もいる。体力的にハードな仕事だけに、休めるときは休まないともたないのだ。蔵に 入って2、3日はずいぶん気を張っていたが「そんなに頑張っていると1週間もたないよ」 とベテラン蔵人さんにアドバイスをされ、少しずつ肩の力を抜くことを心がけた。
蔵人さんたちは、12月から3月終わりまでの酒づくりの時期は休みなく働く。その理由は、 生きた麹菌を扱っているから。この頃は生産調整をすることで年始は少し休めるようにな ったそうだが、今年杜氏になったばかりの平澤社長の後継者、喜一郎さんは、新卒で蔵に 入ってからずっと麹を担当しているので、ここ20年ほど年末年始に休んだことはないとい う。
カムタチという言葉は、日本最古の歴史書といわれる『古事記』や奈良時代の『播磨国風 土記』にも記されている。日本酒の源となった口噛み酒のことだそうだ。神様にお供えし た蒸し米にカビが生え、それで酒を醸したことから、カビタチ→カムタチ→カムチ→カウ ジ→コウジと変化したといわれている。なるほど、今回の私の入った時期は、まさに米が どのように麹へと変化していくかということが見られるタイミングだった。流れを理解し たのは全てが終わってから。毎晩のように食卓で晩酌した平澤社長も、お昼を一緒に食べ ていた杜氏の喜一郎さんも、意図してなのか、決して答えを教えてくれなかったのだった。
日本酒はお米を発酵させてつくる醸造酒で、米を麹菌の酵素によって糖分に変え、そこに 酵母を加えて発酵させ、アルコール分を出す。それゆえに、「一麹二もと三つくり」とい われる。秋田県は、麹菌などのカビが育ちやすい湿潤な気候にある。また低温でゆっくり と熟成されていくなかで、丸みのあるまろやかなお酒が育まれていく。いつも、そのひと くちに、愛情のようなあたたかさを感じて飲んでいた。目を閉じて飲むと、風土と麹と人 間が奏でる演奏が聴こえてくるかのようだ。
修行4日目くらいに、杜氏に「帰ったら家で自家製麹にチャレンジするんです」と言った ら、嬉しそうに温度管理のスケジュール表を書いてくれた。
1週間の修行で、何が身についたのだろう。帰ってきてから、雑誌などに載っている日本 酒蔵の写真を見るのが楽しくなったことは確か。舌の感覚はさすがに1週間で磨かれるは ずもないが、日本酒とはどんなふうにできているのか、自分なりに家族や友人に説明でき るくらいになっただろう。
さて、108代醸蒸多知の最初の仕事は、自宅に帰ってからの味噌づくりのための自家製麹 づくりをすること。杜氏じきじきのご指導が生かされたかどうかの答えは、味噌の完成す る来冬のはじめに結果が出る。ああ、ドキドキしてきた。
醸して蒸して、多くを知る。
菌が生み出す小さくて大きな世界を体感する1週間。
※このコラムは2016年冬頃に執筆されたものです。
朝比奈 千鶴
トラベルライター。「暮らしの延長線の旅」をテーマに活動。2016年2月、喜久水酒造(能代市)での酒造り修行を終了し、「108代醸蒸多知」の称号を得た。各地で出会った残すべき情景をモノやコトとして編集するほか、著書『Birthday Herb 』(朝日新聞出版)では薬用ハーブのある旅と暮らしのエッセイを綴っている。