コラム

2015夏 第3話「木都、能代の歴史をあるく」

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2015夏 第3話「木都、能代の歴史をあるく」

※このコラムは2015年夏頃に執筆されたものです。

青森ヒバ、木曽ヒノキと並んで日本三大美林のひとつとされる、秋田杉。大館市から能代 港を経て日本海に注ぐ米代川流域の森は、天然秋田杉の産地として知られている。そのた め、北前船が行き来していた1600年代くらいから能代は港町として発達し、大正時代から 昭和初期にかけて隆盛を極め、全国に名高い「木都」として栄えていた。現在の能代には ぱっと見た感じ、東洋一と謳われた「木都」のイメージはない。それもそのはず、昭和24 年と31年に二度も街の半分を焼き尽くすほどの大火に見舞われ、古き良き時代のものはほ とんど残っていないからだ。不謹慎かもしれないが、木の都だけにさぞかしよく燃えたこ とだろう。

能代の木都の歴史を残す、井坂記念館にある「木都の父」と呼ばれる、井坂直幹氏の銅像。東洋一といわれた秋田木材株式会社(秋木)の創立者だ。

60年以上経った今も大火のことは、人びとの記憶にしっかりと残っている。その証拠に、 能代の人と話すと必ずといっていいほど「先の大火が……」という話が出てくる。

 

二度の大火から奇跡的に逃れた築78年の旧料亭「金勇(かねゆう)」を訪ねた。見える限 りに天然秋田杉を使った入母屋(いりもや)造りの立派な建物と聞き、さぞかし絢爛豪華 なのかと思いきや、中に入ると木の香りが心地よく、意外とすっきりとシンプルなデザイ ンだ。その実、あちこちに卓越した技術を持つ匠の誇りと遊び心が忍ばせてある。「職人 さんたちはとても意欲的にこの建物を作りました。この場所を見てどういうものが合うか ということを自分たちでおのおのデザインしたのです」とボランティアガイドの柴田テツ 子さんが話し始めた。

金勇ボランティアガイドの柴田テツ子さん。のしろ桧山周辺歴史ガイドも務め、金勇を地域の歴史とからめてわかりやすく説明をしてくれる。

最初に1階中広間「満月の間」に入ると、42畳の和室の大きさにたじろいだ。でも、それ 以上に天井の継ぎ目のない長さ5間(9m)の板に驚く。5本も並んでいるのは壮観だ。 ここまでは、木材に関して素人の私にでもひと目で理解できる。それらは、すべて上質な 天然秋田杉の柾目(まさめ)を使用している。これは何を意味するのか。木の板には柾目 と板目(いため)、杢目(もくめ)の3種類がある。一般的に木を製材すると現れる模様 は柾目と板目で、柾目は平行に木目が並び、板目は年輪が入るのが大きな違いだ。また、 木目が平行に並ぶために丸太の挽き方も特殊となり、わずかしかとることができない。年 輪を重ねた大樹でないと金勇で見られるような板はとれないのだ。柾目の板は大変稀少な ものということがわかるだろう。ちなみに、この建物には1本だけ四方柾目の柱がある。 いい木を選木し、余すことなく適所に使われているところも、作り手の美意識が現れてお り見ているこちらがすっと気持ちがよくなる。

1階中広間「満月の間」には職人の哲学が随所に見えるかたちで残されている。このあと、ここで昼食を食べる旅行客がいてちょっぴり羨ましかった。

この屋根のどこに秘密が? ヒントは、屋根を支える垂木の長さにご注目!金勇の建物には、神様への敬意や願掛けが随所に残っている。

金勇に隠された3つの秘密

金勇には、建物に関わった人たちの想いが強く現れた場所が3つある。ひとつ目は、座敷 にある未完成のところ。大きな建物をきちんと立てるとあとは崩れるだけになるので、 「滿つるは欠けるにつながる」というジンクスがある。それを防ぐ縁起担ぎの意味を込め て、どこかを未完成にしてあるのだそうだ。その部分は探す楽しみもあるのでここでは伏 せておこう。2つ目は、昭和12年11月に完成したこの建物の長廊下。完成儀式を行う際、 隣接する八幡神社の本殿の下から土をもらい、長廊下の下に敷いたのだとか。なぜそんな ことをしたのかと聞くと「一種の願かけだびょん(能代弁でそうでしょうねという意味)。 社長の金谷勇助はこの建物に来る人が幸せになるように、大工の梅田鉄三は来てくれた人 たちに災いがありませんようにと祈ったそうです」と柴田さん。二度の大火を逃れられた のはこの願かけのお陰ともいわれているそうだ。なんとも不思議な話である。3つ目は、 屋根の下にある垂木の長さ。外から眺めると、垂木が1本だけ切りそろえずに残してある のがわかる。これは、神様への敬意を表すため。なんとも、ユーモラス。匠の遊び心が現 れた場所を探すのも金勇を訪れる楽しみのひとつだ。

110畳の広さを誇る、2階の大広間。天然秋田杉を利用した四畳半仕切りの格天井は、巨木の丸太から木目を考えられて1枚ずつとられたという大変贅沢な造り。

昭和の二度の大火で町のほとんどの建物が焼け、古い文献などもなくなった今、この建物 は町の生き証人だ。能代に立派な天然秋田杉が豊富に集まり、匠の技術が卓越していたと きの歴史が詰まっている郷土資料館だ。ひととおり見学し、金勇に出入りしていた商売人 になった気持ちでお弁当にありつく。丁寧に手入れされた日本庭を眺め、まるで明治時代 にタイムスリップしたような気持ちになり、当時の栄華をしのんでみる……。ちょうどそ の頃はお客さんとしては、女性は出入りできなかったと聞く。平成20年に入り、能代市に 寄付されたことで、こうやって見学をしたり、お弁当を食べたりできるようになったのだ。 うん、現代に生まれてよかったなと思う。

金勇で食べた「樹林」の刺身弁当(1500円)。お昼を食べるには部屋の貸出料、冷暖房費などが加わるが、驚くほどお得な価格なのでぜひ利用して。

さて、能代の歴史を語り継ぐ場所といえば、一子相伝で代々翁飴(おきなあめ)の製法を 継ぐ和菓子店「桔梗屋」も欠かせない。こちらはなんと1592年創業。創業のいわれを聞い てみると、「どうやら、山梨の武田家の流れを汲んでいるようなんですよね。それから茨 城、金沢に移り、長篠の戦いで織田信長に負けて秋田まで流れてきたらしいんです」とさ らりという20代目・武田成史さん。確かに、名前は武田さんである。

透けそうに繊細な翁飴。ほんのり甘く、ゼリーのような食感が年代問わずに人気。能代でしか買えないので、ぜひお土産にしたい1品だ。

それにしても1世代でひとりにしか知られていない技法というのもすごい。砂糖・添加物 は不使用。もち米と大麦のみを使い、仕込みから完成までに一週間もかかるという。量産 できないため、翁飴は能代でしか販売していない。ゼリーのようなやわらかい食感、ほの かな麦芽糖の甘みがする翁飴は、暑くても溶けない。翁飴そのものは素朴なルックスだ。 だが、長寿を連想させる名前のため縁起がいいと、木都で栄えた時期に金勇に出入りをし ているようなエリートの間で贈答用として使われた。これもまた、時代のお陰で私の口に も入ってきてくれているものだから、旅人としてはありがたくその恩恵に授かろうではあ りませんか。

さわやかな笑顔の20代目・武田成史さんは、地域の祭事やイベントにも積極的に参加し、能代の未来を継いでいく大切な存在だ。現在、花嫁募集中!

“古きよき能代の記憶が残る場で、時をまたいで木都の姿を見てみたい“

 

◎テーマにちなんで、もう一軒!

のしろ木工品市場

能代市近郊の木工所から集められた家具やまないた、コースターなど、木工作品を展
示。希望者は秋田杉を使った木工体験もできる。秋田杉の香りに包まれた空間。
コースター作り 300円。

 

※このコラムは2015年夏頃に執筆されたものです。

朝比奈 千鶴

トラベルライター。「暮らしの延長線の旅」をテーマに活動。2016年2月、喜久水酒造(能代市)での酒造り修行を終了し、「108代醸蒸多知」の称号を得た。各地で出会った残すべき情景をモノやコトとして編集するほか、著書『Birthday Herb 』(朝日新聞出版)では薬用ハーブのある旅と暮らしのエッセイを綴っている。

2015夏 第3話「木都、能代の歴史をあるく」

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