2015夏 第2話「白神山地と日本海に抱かれた、蔵元を訪ねる」
※このコラムは2015年夏頃に執筆されたものです。
あきた白神地域には2つの蔵元がある。正確にいえば3つなのだが、現在、40代の経営 者が酒造りに携わっているのは、八峰町にある山本合名会社と能代市にある喜久水酒造 合資会社だ。昨年、能代にある天洋酒店でこの2つの蔵元のお酒を初めて飲んだ。なか でも、山本合名会社の「黒山本」は、あまり日本酒が得意ではなかった自分の舌を一変 させるような衝撃の味で、それをなんと表現したらよいのかと一口ではわからなかった ので早速購入して、今年のお正月に自宅で飲んでみた。家族の評判はすこぶるよく、そ の後、友人たちに飲ませたら、「こんな酒を飲んじゃったら、もういつものコップ酒を 飲めないじゃないか」と苦情がきてしまったくらい。ぱあっと華やかに味わったあと、 するりと喉を通って心地よく体に浸透していく、そんな感じ。
お酒を飲む側は、おいしければそれでいい。でも、酒造りの背景を少し知ることでもっと おいしく飲めるかもしれない。実際に、気に入ったお酒の蔵元見学に行くと、消費者とし て自分はこの酒造りを応援している、という意識も芽生えてくる。よく飲んで、味わって、 期待やプレッシャーもかける……。うん、よいファンになれるといいな。
この夏に、念願かなって秋田県と青森県の県境にある八峰町の山本合名会社を訪問した。 ハタハタ漁で有名な旧八森町で1901年から酒造りを行っており、そばに地域の信仰の対 象でもある白瀑(しらたき)の滝がある。山本合名会社はこの滝にちなんだ「白瀑」と いう銘柄を造っていることでも知られている。毎年夏に開催される白瀑神社例大祭「み こしの滝浴び」では、神輿がそのまま滝つぼに入っていく儀式があるという。縄文時代 から連綿と続くブナ林のある世界自然遺産の白神山地が背後に連なり、白瀑の滝には白 神の伏流水がとうとうと流れてくる。そこに佇んでいるだけでさっぱりと全身が清めら れそうな神聖さと厳かさがあった。おそらく、聖地とはこのような場所のことをいうの だろう。滝のお膝元にある山本合名会社は、素晴らしいロケーションにあった。
「ようこそ、山本合名会社へ」。六代目蔵元の山本友文さんが現れた。アメリカの大学を 卒業後、東京の音楽事務所で働いていた山本さんは、日本酒業界ではちょっとした有名人 だ。次々と攻めの姿勢で新商品をリリースし、今をときめく秋田の蔵元集団、NEXT5と しても活躍。まさに、八面六臂の働きをみせる山本さんだが、実は家業を継ぐつもりはな かったのだとか。 「醸造学を学んでいた従兄弟が若くして亡くなったものだから僕に白羽の矢がたちまして。 東京では楽しく仕事もできていたので戻ってくるのはイヤだったのですが、親族を見渡し てみると僕のほかは女性ばかりで誰も継ぎ手がいなかったんです」。山本さんは、先代か らの多額の負債を背負ったまま蔵を継いだ。会社経営も酒造りも初めてのなかでまずはど うやったら在庫をさばくことができるのかと頭を抱え、地元の酒屋、天洋酒店の浅野さん に相談にいったという。
「浅野さんのアドバイスで売り時期を考え、それにあわせて商品名を新しく考えるなど工 夫して、やっと出荷できたんです。当初は、30年以上勤めている杜氏に蔵には入ってくれ るなといわれました。でも、経営者としては今の時代に売れる酒を造らなくちゃいけない。 結局、杜氏の定年退職とともに杜氏制を廃止し、蔵人全員が自由に意見交換できる環境に しました。ちょうどそんなときに、同じ秋田の蔵元である『ゆきの美人』の小林さんが杜 氏なしで酒造りを始めていたり、そのうち『新政』の佐藤くんが東京から戻ってきたりと タイミングが良かったので、5つの蔵で知恵を出し合い、新しい日本の酒造りを始めよう と2010年にNEXT5を結成したんです」。 東京では、日本酒とはずいぶんと遠い環境にいた山本さんは、“日々の食事にあうワインの ような存在となる日本酒を”と食のシーンを考慮した酒づくりを始めた。それまで日本酒が 得意でなかった女性たちの扉となるには十分なコンセプトだ。
白神山地の自然のめぐみを享受して
仕込み水は3㎞先にある裏山の中腹から湧き出る天然湧水から自家水道をひいている。そ の水は2010年から無農薬、無化学肥料で行っている特別栽培米「酒こまち」の自社田にも ひいた。蔵にある神棚の裏からは、酒造りに非常に重要な酵母が発見された。ここ10年間 で劇的に変化していったといわれている日本酒業界を牽引する蔵のうちのひとつが、この ような豊かな自然環境に存在している。その様子を見に行くだけでも一杯のお酒がどれだ けおいしく感じられることか。 山本さんは、「秋田の酒は、一昔前までは低価格の燗酒のイメージが強かったんです。で も、今は酵母や米づくりなどこだわって純米酒を造る蔵元が増えてきました。以前とはず いぶん変わりました」と熱く語った。
山本合名会社では、この7年間、日本酒専門店のみに商品を出荷しているという。なぜな らば、大切に商品を扱ってもらえる場所に置いてもらわないと、せっかく丹精こめて醸し た酒も温度によって味が変わってしまうからだ。蔵でも、徹底した温度管理をすべく、毎 年、設備投資を行っている。最近は得意の英語や音楽業界で培った人脈などを生かして海 外進出も果たし、杜氏制を廃止した8年前から生産量は3倍になった。
蔵のストーリーを聞いていると、話は尽きない。冬、仕込みの季節には、山本さんが大好 きなビートルズやストーンズをBGMに働く蔵人たちの姿が見られる。音楽を聴きながらご 機嫌なのは、タンクや樽の中で熟成されていく酒も一緒だ。何よりも素晴らしかったのは、 自社田からの風景だった。小高い場所にある田んぼからは、蔵や小さな集落、五能線、日 本海が見える。白神山地へ駆け抜けていく風はさわやかだ。田んぼをバックに山本さんに カメラを向けると「ここにこぎつけるまで、本当に大変だったんですよ」と苦笑い。なん と、蔵を立て直すための心労で、当時は顔面神経麻痺にまでなったとか。現在は、のびの びと、酒や働く人が育つような環境づくりに力を入れている。 自分がおいしいと思ったお酒を買うということは、そのお酒が醸される環境づくりへつな がっている。自宅から遠く離れた場所と自分の接点は何かということを蔵元見学で知った。
今年のお正月に開けた1本「黒山本」は、某航空会社国際線のファーストクラスのドリン クに採用されたそうだ。リラックスムード、だけど特別なときに飲みたい日本酒というこ となんだろう。よし、来年のお正月も、この1本で始めよう。今年の出来も期待していま す!
◎ テーマにちなんで、もう1軒
喜久水酒造 トンネル地下貯蔵庫
能代市内にある喜久水酒造は、六代目蔵元、平澤喜三郎さんが1996年にJRから買い取っ たトンネルをお酒の貯蔵庫に使っている。トンネルの中は通年で日本酒の貯蔵に最適な 11℃に保たれており、銘酒がずらりと低温でじっくり熟成されている。繁忙期以外は見 学ができるので、ぜひホームページから申し込んでみては?
※このコラムは2015年夏頃に執筆されたものです。
朝比奈 千鶴
トラベルライター。「暮らしの延長線の旅」をテーマに活動。2016年2月、喜久水酒造(能代市)での酒造り修行を終了し、「108代醸蒸多知」の称号を得た。各地で出会った残すべき情景をモノやコトとして編集するほか、著書『Birthday Herb 』(朝日新聞出版)では薬用ハーブのある旅と暮らしのエッセイを綴っている。