白神の森は人と共にある。自然を守るために人と自然を分離させることはない。
森を守り続けてきた白神の人は言う
「森と付き合わなければ、森を知ることはできない。森を知らなければ、森を助けることはできない」
森と人が共生するためのコミュニケーションを身に着ける事。それが森をサスティナブルにする方法なのだ。
白神を世界遺産にした人々
白神の人々は森との付き合い方を知っていたから、白神を世界遺産にすることができた。白神は当時役に立たない森と言われ、道路開発が進められていた。しかし、その工事による森の変化に人々は気づいた。人々は森を守るために調査を行う。その調査は白神の人々が感じていた森のすごさを世界に科学的に示した。そして、世界は白神を世界遺産と認定した。
森と人のサスティナブルな関係
白神の森を守るために、研究者と地域の人々が連携して調査事業が行われている。その調査は人の一生よりも長い計画。やる気のある誰かだけがやっているわけではない。地域として世代を超えて森と向き合っていく覚悟と体制を作った。森は人に恵みを、人は森にサポートを。お互いに支えあうサスティナブルな関係がここにある。
森と人のやり取り
白神の人々も時代の変化とは無縁ではない。時代の変化に合わせて白神の人々も森との付き合い方にも種類が出てきた。昔から変わらない付き合い方、時代と共に変化する付き合い方など。我々はここから自然と人間の付き合方の違いを知ることができる。そして、時代は変わっても変わることなく受け継がれてきた白神の精神から、今は忘れてしまった森との付き合い方を見つけることができるはずだ。未来に向けて森と共生していくヒントがこの土地にはある。
山棲みの人々(またぎ)
白神には森と共に生きる山棲みと言われる人々がいる。その中でも「またぎ」と呼ばれる特徴的な山の民がいる。またぎは、単なるハンターではない。山の神を信仰し、またぎ達の間で受け継がれる山の掟を固く守り、古い伝統と厳しい作法の中で生きてきた。現在はまたぎ生活をするものはいなくなったが、その精神は時代を超えて白神の子孫たちに今も受け継がれている。
獲物ではなく、山の神からの授かりもの
またぎ達にとって、狩りをすることは生きるためである。娯楽ではない。彼らは狩りの獲物を山の神からの授かりものとし、定まった解体作業を行う。仕留めた動物を誉め称え、その霊を慰める。そして、命に報いるために毛皮から内臓に至るまで全てを利用する。生きるために動物の命を奪うという行為の持つ重さを儀式や思想の中に取り入れ、子孫たちに掟として伝えていく。だから、またぎは必要以上に狩りを行わない。植物を山から採集する時も根こそぎにはとらない。生きるために必要な分だけを山の神の恵みとしていただく。彼らは森の恵みをサスティナブルにする生活様式を獲得していた。
山の掟に生きる
またぎは厳しい自然条件の中で生きてきた。自然と人間との付き合い方を間違うことは、死を意味していた。そのため、自然との付き合い方は信仰や山の掟として語り継がれ、生活様式となった。またぎ達は狩りの成果に関係なく食料を互いに分け与えるという共有共同の思想を持っていたが、山の中では徹底した個人主義であり、自分の身は自分で守ることが掟だった。こうした掟の必要性は頭だけでなく、森の生活の中で体感していく。時代がどのように変遷しても、常に掟は個人よりも上にあると同時に、各個人が森の生活の中で実感を持って掟を自分のものにした。自然と共に生きるというのは、ルールだけでも、個人の努力だけでも難しく、両方必要であることを、またぎは教えてくれる。
里の人々
里の人々は、直接山から恵みをいただきながらも、常時山に分け入っているわけではない生活を送っていた。彼らは山棲みの人々と繋がり、山の恵みを永続的にしていくための付き合い方を獲得した。それだけでなく、まちの人々に山の恵みを分けることで、山とまちを繋ぐ存在となった。彼らの生活は山と共にあるが、まちの生き方もまた知る存在だった。里の人々は今も山とまちを繋ぐ存在として生活している。
まちの人々
まちの人々は、直接森には分け入ることはなく、里の人々を通じて森の恵みを分けてもらう事で山と共に付き合ってきた。直接森を知らないからこそ、時代の変化はまちの人々と森とのコミュニケーションを変化させた。時として人が森を一方的に利用しようとした時代もあった。しかし、今はまちの人々も森を残していこうとしている。人と森のコミュニケーションには良い時もあれば、悪い時もあったのだ。人と森の付き合い方の違いが、森をどう変えるのか。白神の森は自らの姿で我々に問いかける
原生林
人が誰も触れたことのない原生林
天然林
森が枯れないように、必要な分だけを伐採した森林
人工林
森の木を伐採し、人間に都合の良い新しい種類の木を植えた森林